森田 童子(もりた どうじ、1952年1月15日 – 2018年4月24日)は、日本の元女性シンガーソングライター。本名は非公開。
Doji Morita / 森田童子のアルバム
アルバム名 | 発売日 | レーベル | 発売形態 | |
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1st | GOOD BYEグッドバイ | 1975年11月21日 | ポリドール・レコード | LP・CT |
2nd | マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか= | 1976年11月21日 | ||
3rd | A BOY ボーイ | 1977年12月10日 | ||
LIVE | 東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤 | 1978年11月1日 | ||
4th | ラスト・ワルツ | 1980年11月20日 | ワーナー・パイオニア | |
BEST | 友への手紙 森田童子自選集 | 1981年 | CT | |
5th | 夜想曲 | 1982年11月20日 | LP・CT | |
6th | 狼少年 wolf boy | 1983年11月30日 |
Doji Morita / 森田童子の活躍
東京都出身。学園闘争が吹き荒れる時代に高校生で友人が捕まったことをきっかけに高校を中退、気ままな生活を送っていたが、20歳の時、友人の死をきっかけに歌い始める(この亡くなった友人をモチーフにした曲がデビュー曲となる『さよなら ぼくの ともだち』である)。
1975年10月、シングルレコード『さよなら ぼくの ともだち』で、ポリドール(現:ユニバーサルミュージック合同会社)よりデビュー。以後主にライブハウスを中心に活動する。1980年に、ポリドールからワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)に移籍。1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリースし、同年のアルバム「狼少年 wolf boy」と新宿ロフトでのライブを最後に、引退を宣言することなく活動を休止する。レコーディングの編曲は、アコースティックギター奏者の石川鷹彦(元六文銭)などが担当した。その後結婚。
カーリーヘアにサングラスというスタイルが特徴で、コンサートはもちろんレコードジャケットなどでも素顔を見せることはなかった。森田童子は芸名であり、本名は非公開。加えて実生活についてもほとんど公表せず、作詞した歌詞の内容もありのままの実体験ではなく願望を投影したものであるとしており、普段も寡黙で、独特の世界観を表現した作品に生活感を滲ませることを避けていた。
活動停止以後、1988年、初期アルバム4作『グッド・バイ』から『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』までが初CD化された。
1989年9月、日本の学生運動と青春と恋をテーマにした、ミニシアター系映画『グッドバイ』に楽曲が使用され、映画での使用曲を集めたサウンドトラックCDも発売された。
1993年・ドラマ『高校教師』以後、一部ではカリスマ的な人気を博しつつも、森田のファンは全国的に見れば少数で、森田本人がメジャー化を望んでいなかったこともあり、その作品はマスコミなどに表立って紹介されることもなかった。
1993年1月、テレビドラマ『高校教師』の主題歌に1976年発売のシングル『ぼくたちの失敗』が使われ、シングルCDは100万枚に迫る大ヒットとなった。このドラマの脚本を書いた野島伸司は、高校時代同級生に誘われてライブハウスで歌う彼女を知り、強い印象を受けたという。
これにともない、同年3月にベスト・アルバム『ぼくたちの失敗 森田童子ベスト・コレクション』が発売された。活動時の最高位(オリコンチャート1位)を獲得した。続けて同年4月には、オリジナル・アルバム7枚がCDで再発売(初CD化3枚)され、活動当時を知らない若い世代を含めて、新たに多くのファンを獲得した。
しかし本人はこのリバイバルブームに対し「現在は主婦業に専念しており、音楽活動を再開する気は全くない」とだけ発言し、マスコミの取材には応じず沈黙を守った。
同年11月には、映画版『高校教師』で『たとえばぼくが死んだら』が主題歌として使われた。
2003年・ドラマ『高校教師』以後
2003年1月、10年振りにドラマ『高校教師』の新作が放送され、再び『ぼくたちの失敗』が主題歌として使用された。
これにともない発売された2003年版のベスト盤『ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション』に、「海が死んでもいいョって鳴いている」(アルバム『ラスト・ワルツ』)収録)」の歌詞を一部変更して、新規に歌唱・録音された「ひとり遊び」が収録された。それが最後の作品となっており、以降は音楽活動は行っていない。